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三日に仙台から戻って、入れ違いで結城さんが七夕期間の仕事へ。阿佐ヶ谷の七夕祭りっていまやってるの?と訊かれて、そういえば去年はロータリーがもっと賑やかだったような気がしたけども、ちゃんと思い出せなくて、日中は人通り大したことないね、と答えた。帰り道にチラシだかを見たら、週末と山の日(だっけ)を含めての三日間が本番らしいのだが、とにかくなんの興味も湧かない行事。
夕方、西荻窪Singへ作業をしに。ブランチ営業ということだったけど、なんか食材を搬入する用事があるとのことで閉店時間後も居させてくれた。
十年以上まえ、「雨と休日」というオンラインCDショップの実店舗が、西荻窪にあった。Singでも、雨の日を共にするクワイエット・ミュージックという、その店のコンセプトに近い系統の選曲をしているような気がしていた(そういえば、Singとの縁が生じたきっかけは、通り雨の日に傘を貸してくれたことだった)。オーナーさんに訊いてみたら、その頃は西荻に居たわけではないものの、やはり「雨と休日」のセレクトの影響を受けているとのことで、少しだけ昔を懐かしんだ。
駅のどっち側だっただろうか。ガラス張りの外装で、通りから店の中が見えるという構え。西荻の歩道と同じく、本当に狭かった。当時交際していた人と初めて実店舗に行った時、視聴機のヘッドホンを当てているところを、店の外から写真を撮ってくれた。その日、視聴したいくつかの音盤のうちに、確かにあった一曲が今日同じ街で流れ、Shazamして、出てきた曲名が「恋をした人」というのは、出来すぎのような話。

8/8
文庫と新書の新刊がぼちぼち出てるので、池袋のジュンク堂へ。帰り道にアイスのパルムとルイボスティーを買う。持ちきれないので本は手首にかけて、ルイボスティーを銃剣みたいにして左の掌に持つ。こうすると手首から肘窩にかけてが涼しくなる。
学術文庫の先月刊、前田英樹『ベルクソン哲学の遺言』を読みおわった。論集『思考と動き』の長い序論をベルクソンの<自伝>と位置づけ、主著四作を読む補助線として用いていく。主に、「持続」という抽象的なタームを中心に解き明かしていく内容だが、それは日常的な経験、たとえばだれかを待つ、といったような、明白にすぎる事実に注意を向けることからしか始まらない。ベルクソン自身、哲学者の思索が抽象的な概念の操作に陥ることに対して激烈にダメ出ししているが、「持続」や「直観」、「記憶」といった問題と出くわし・ぶつかり・引き受け、「単純なひとつの行為」として考え、必要に応じて新たな学問の学習に一から取り組み、蓋然性を深めていったベルクソンの姿勢は、なんら衒学的なものではない。
世界の成り立ちを、(実体、自我、理念、意志といった)体系的に一般化/抽象化された原理によって説明することは、「暮らしの役には立たないだけでなく、生活する人の心を活気づかせることも、鼓舞することもできない。それは、そうした大哲学が、単に生活から遊離しているからではない、在るものに触れる喜びをはじめから放棄しているためだ」(115ページ)。近年、隆盛を極めるベルクソン研究の最前線からは離れた位置にいる人だろうが、前田さんの筆の振るいっぷりにいちいち元気が出る。
ここひと月ほど腰が痛くて布団買い換えようと思っていたら、キンちゃんも腰痛いようだ。仕事に行って座り、劇場に行って座り、新幹線に乗って座っている人たち。

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