藝大博論審査の展示が残り三日で、しかし週末の上野公園(しかもこのインフルエンザ流行の中を)を通るのか、と思うと気が滅入り、しかし地図を開いてみると、どうも鶯谷駅からも同じくらいの距離感で藝大に歩いていけるようだった。
菅野さんの作品は、知り合ってから以降のもの(「未踏のツアー」以降)に限ってではあるが、継続的に見てきた。だから作品自体はその延長線上で体験するものとして受け取ったのだが、入り口前に戻ってクリップ挟みになった論文のコピーを読んでいると、そうか、制作はこういうふうに、ひとまず作者の手において結実していくのか、と感慨深かった。なん日か前に、博論審査を聞きに行っていた結城さんの異常情報処理能力による要約を聞いてて、制作ってえらいことだな、と話したのだが、菅野さんに声をかけられたときに、えらいことやね、とひとこと伝えればよかったなと後で思った。即時性とシンパシーのコミュニケーションモードを持ち合わせていない。
声かけたの聞こえてなかったのか、集中してるのかと思ったけど、即時性とシンパシーのコミュニケーションモードを持ち合わせていなかったのですね笑!
コメント気づくの遅れました、見てくれてありがとう!
普通にコミュニケーションのやり過ごしだよな、と反省。。。