3/20 ライブシアター栗橋

 

黒井さんにお会いしたく。楽日の栗橋へ。来るたびに快晴に恵まれていて(といってもまだ2回めだけども…)、郊外然とした日光街道の光景と、良く澄んだ青空とがすっかり劇場の思い出と結びついている。夏が戻ったようだった9頭の楽日、結城さんとベンチに座っていたら、まだ自分が友坂さんとは認識していなかった友坂さんが、「日焼けしちゃいませんか?」と鈴の音のような声とともに目の前に現れたことも。この記憶は、自分の後半生の走馬灯シーンで、今の所ベスト3に入っている。

 

しかし今日は体調が優れず、黒井さんの演目(ナルコレプシー)ではないが一日中傾眠で、また公共空間での大きな懸案の一つであるトイレの利用しやすさという部分で、行き慣れていない劇場ゆえの辛さがあったりもした(道劇あたりもうはさすがに割り切って使ってるけど、なんなら渋谷は外出する選択肢もあるので)。2公演目は全般的に集中して観られず、気分まで落ち込んできそうだったので早めに退散。それでも『エスケープ』をより広い環境で観られたのは良かったし、『飢餓海峡』も未見になってしまったが次の楽しみ(4中)が持ち越されたということで、前向きに捉えましょう…

余談。クィアな存在としての自分の在りようを、LGBTQという、既存の男女二分的規範とそこから「逸脱」しているあり方、という入れ物に分類した上で、ひとまずそういう範疇として「理解」してくれる、以上の深度で受け入れてくれる人間というのは、悲しいことに現実にはなかなか居ない。友人やパートナー等ひと握りの重要な他者たちにすら、いちいち打ち明けるのも気が引けてしまう、日々の個別的な苦しさが顧みられることはほとんどない…と思い込んでしまうときがあるけれども、見てくれている人はどこか遠くから思いがけず見てくれているし、また、そうしたまなざしの存在を認めることは、他者が晒されている様々な形態の抑圧に自らも目を開かされていく契機でもある。ポラはおうちに帰って読む派ですが、おうちに帰って読んで良かったなあ!という素朴な嬉しさとともに、そんなことを改めて思ったりした。

 

 

牧瀬茜さん。

年末、品川派遣OL(=おれ)の現場で知り合った方が牧瀬さんの知人、という不思議な邂逅があり、関東での香盤の機会を待っていたのだった。この日は2演目とも何らか意味性を持った表現を前面に出して…というのではなく、率直に踊りそのものを見せる演目。舞踊的で、必ずしもビートとの同期は重視されておらず、そうした拍子とは別の次元の、根源的でリズミカルな流体としての身体の動勢が、たしかにある。そうした一貫した流れの先にある2演目めのベット、この日初めて切られるたっぷりとした入りのポーズに至って泣く。また牧瀬さんが観客を眼差すという行為は非常にフラットな質感でもって経験されるが、(友坂さんのそれと同様に)一対一対応の視線の交錯というのではなく、たとえば「推しと目が合ったんだが」、みたいなオタクの情動の昂りを触発するようなものではなくて、この場で我々はひとつになって在るということの確認する視線の撫ぜ触れのようなものなのかもしれない。

 

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