1/15 横浜ロック座

午後から横浜に出たが、風が強すぎる。駅ビル群から一歩も出ずに遅めのランチを済ませ、ベルクソンの講義録も一章ぶん読み進めた。二回目終わりのロック座に到着。かぶりもちらほら空いているので吸い込まれるように着席、上手側なの珍しい。

友坂さんの『春よ来い』〜縁〜(タイトル名を鍵で括ったあとに副題がつくらしいのでこの表記)、今週一個出しなので、じっくりと見られる。M3、外した帯や脱ぎ去った着物を、本舞台の下手側でそれらの質感を示すようにした後、上手側に部分的に重ねるようにして置いていく。こうした動作は、場に物体を配置していくことの流れを確かめるかのような感触があり、こうした造形って庭づくりに近いのでは、と思い至る(もちろん、山内さんの『庭のかたちがつくられるとき』が頭にあった)。
M4で盆に入り、一度腰を下ろすとほとんど大きな動作のないままM5までベッドが続くが、動作が少ないということは、動きがミニマルになっている、というのとは全然違う。肩と胸の間に手をおく、捧げもつような掌をつくる、膝を揃えた状態から片方だけ立てる。そうしたわずかな動作ですら、友坂さんの身体をその大きな媒介としてつくられる空間の布置を、大きく、劇的に変えうる。縦の糸、という歌詞は、頭を垂れている友坂さんの長く垂れ下がる黒髪にその形態的な類似を読み込ませるものの、そこに意味は全く生じない。空間のテンション(緊張)の流れを、踊り手がちょっと緩めるとか、ベクトルを変えてみたりとか、そういった布置の変化によって、驚くほどダイナミックな生的なエネルギーの連鎖が生じる。こういうのも、というよりは、こういうのこそが踊りなのだ、という驚異がある。

せりなさん三回目は須王さんに続いての『ゴルフ』。M2とM5の振付をちゃんと見たいと毎回思いながら、そんな引いたスタンスの許されない、踊りの快楽の渦に引き込まれる。友坂さんが勉強していた、と奥に座って観ていたTさんから聞き、せりなさんからは楽しそうな計画を聞く。四回目はもう完全に仕上がった感のある『ポリス』を、15人もいない空間の正面で。浜の『ポリス』が一番、かぶりからリングに近い。空いている上野東京ラインで、柴田聡子を聴きながら帰った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です