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30日の日記を書こうとしたが、どうにもうまくいかなかった。
簡潔に記すと、小倉に行った初日にせりなさんが降板になり、韓国から来た一見の若者(自分の韓国語名は発音が複雑だから、と英語名のガニを名乗った)と仲良くなり、終演後にACさんも交えて飲みに行き、別れ際にガニが、きょうは特別な一日だった、と話してくれた。自分にとっても、おしまいの気分になるはずが、不思議ですばらしい時間だった、と間違いなくいうことができる。よかったね、という話なのだが、じゃあこの日の出来事をよかったね、というふうな印象を与えるものとして表現するべきなのかというと、話は違ってくる。時系列に沿って具体的に出来事を記述しようとすると、そのような意図をもったものとしてしか書くことができなくなる。夕食に出雲そばを食べながら、ガニは、韓国に帰ったらいつものつまらない日常が始まるし、将来また「ともだち」(私のこと)と、こうして会うかどうかだってわからないことだから、きょうを楽しむことが自分にとっていま大事なんだ、と言った。その時間を味わった経験が重要ということだ。
本当に良かったといえることを書くのは難しい。
きょうは一日じゅう雨ふりで、寝覚めも良くなかった。夜中脂っこいものを食べたせいか、ずっと胃も重たい。魚町をぶらぶらしてから川を渡って西小倉のカフェに行き、珍しく手紙を書いた。化粧前に置いてもらうこととかできないか、とささきさんに訊いてみたが、もう渡すのは難しいようだった。さすがに昨日ほど楽しむ気分にもなれなくて早めに失礼したが、その時のポラでささきさんからとっさに出たのだろう一言が、本当に何気ないものだったが、とても暖かく沁みた。昨日と違って、なんでよりによってこの日に来てしまったのか、というしょうもない問いが浮かぶこともあった。この状況でそういう気分になるのはなんらおかしいことではないはずだが、そういう素ぶりを見せている人って劇場で見たことがない。みんな大人だ。

2/1
福岡アジア美術館の入っている中洲川端の博多リバレインモールに、Googleで見つけたカフェが入っているはずなのだが、当該モールの案内板にその名前が見当たらない。お店のHPやGoogle Mapを見ながら二周くらい施設の中を歩き回って、いったん外に出ると、隣のホテルオークラとの狭間の道沿いに入り口があった。大シルクロード展の予習用に持ってきた文庫本を一章読み進め、会計して外に出る。外にあるらしいトイレを教えてもらっていた海外のお客さんも、ほぼ同時に出た。と、お店のオーナーさんも走って出てくる。声をかけてどこやらかを指さして、戻っていった。と思ったら、お客さんの行く方向を見て、結局トイレまで付き添っていくことにしたのか、再び駆け出していった。

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