半年しか経ってない

おととい。7中4日目の栗橋。4人香盤で木曜でしかも雨、というタイミング。本当に、きららさんのいうところの「親戚の集まりくらいしかおらん」場内だった。トリの演目が「セリナチャリブレ」で、M1でかぶりの客にせりなさんが次々技をかけて倒して?いく、というシークエンスがある(概要を話したら結城さん曰く、「そういうサービスの風俗?」)。ほぼ全員がかぶりという、いかにも親密性の高まりやすい状況の場内で、せりなさんと客との間でアホな演出が相互に繰り返されていくのが可笑しく、記憶に残る夜のひとつになった(もちろん、こんな客出の日ばかりで良いというわけではないのだが)。
他方、先週の渋谷に行っていて、本意でなく帰らざるを得なくなるということがあった。特定の誰かによる特定のふるまいが原因、ということでは全然なく、自分のようなパーソナリティであればその状況下ではそうなるしかないような状況、が複合的な要因によって生じていた…としか言えないのだが。劇場の環境を形成する人々の流動はおおまかには予測できるかもしれないが、実際その場に行ってみなければ、自分の身体にどんな変化が押し寄せるのかは全くわからない。楽しさや淋しさが喚起される契機も、そして幸せに思える時間も、じつに思いがけず、偶発的に生起する。

こないだ、ストデビュー半年のいとーさんがこの半年間に観た好きな演目を挙げていて、ありすぎて収拾つかなくなってて笑った。いとーさんは、『ab–』に寄せた自分の文章(さゆみさんのことを書いたやつ)がストにはまるきっかけ、と明確に言及してくれている。『ab−』からスト客が生まれたことは編纂目的にも適っていて嬉しいし、何より劇場の環境に自分もなんらかの影響を及ぼしているということが、ありありと諒解される。極めて記名性の強い場。
いとーさんに倣って自分も、この半年観たなかでこれは、という演目を、過去のブログを参照しながら振り返った(そもそも自分も、週に複数回足繁く劇場に通うようになったのは1頭渋谷から)。1結渋谷、のばらさんの『JOY』。初見の際はもちろんのこと、他所で見るたび振付の素晴らしさを再確認でき、どんどん好きになっている。4中渋谷、松本ななさんのポール演目(楽日4回目)、5頭渋谷、せりなさんの『陰陽師』(初日2回目)とさゆみさんの『キッチン』(一人楽前3回目)、6頭小倉、きららさんの『pink』(5日1回目)。『かいわい』のインタビューでも少し話したことがあるが、KPOPのコンサートやサイン会に行ったりしたときに目の前で起こっている出来事を受け取れない、経験の強度がまったく不在、ということが自分のコンプレックスだったように思う。ストリップを初めて見た日も、同じ演目を二度見て、違いがまったく分からない、ということを話した覚えがある。ある日のある特定の回の踊りを特別な経験として受け取れるようになってきたということは、自分から見えていた平板な世界が色彩を帯びたりでこぼこを形成したりして、多少なりとも、現象としての自他の差異につまづいたり、その違和が、不快なものというよりは違和それ自体として認識がなされる、というように、相互嵌入的な関わりのなかで変容が起こってきたことの証左なのかもしれない。

で、アゲハさん。1月3日に『himico』と『あげゲーム』の舞台を観た。過去ログを振り返ると、結城さんに、さゆみさんに関する感想とともに「浅葱さんのボウイのやつ見逃してしまって、心残りでした」というDMをしている。浅葱さん呼び。その三日後、4回目の『himico』で初めてポラに並んだ(当時はずいぶん慎重だった)。退勤して雪のなか走って向かったもんだから、前髪いつも以上にめちゃくちゃだったな、ということを覚えている。

あれから、たった半年しか経っていない。(そんなことある?)東寺〜上野(文フリ)〜小倉、と色々なことが目まぐるしく起きたのに、周年にもまだ立ち会ったことがない。いずれ、どこかで書く機会があるかと思うので深くは立ち入らないが、アゲハさんは、私が私のセクシュアリティや男性性を、どのようにとらえふるまうのかを、いつも再考させてくれる人である(という一面がある。7/18補記)。セクシュアリティという語彙の射程には、性自認や性的指向のみならず、その性的指向を織りなす欲望のあり方や性実践までも含む。強い倫理的規範を内在してもいるアイドルのファンカルチャーにおいては、前者はともかく後者に関して考えることは、考える以前に半ば無意識にキャンセルされる。アゲハさんの身体好きだな、とかこういう表情するときの顔のここが好きだな、とか今は観ながら自然と感じてるけど、こうした実感すら、劇場に通い始めた当初は、おそらく意識に上ることすら抑えつけられていた。上述したように、現象を目の前にしても不感症だったのを、感じちゃう身体に変容させられている。すごい変わりよう。

演目どれか一つ、ということになると難しいけど、4中東寺正面かぶりで観た『shiro』(6日目4回目)になるかなと思う。半年で総括するのは性急だが、端的に生きた幸せを噛み締める日がこんなに頻繁に訪れたことなどなく、良くも悪くも来年自分どうなっちゃってんだろう、ということをよく考えてしまう。

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