9/1-10 日記 9/11 補遺

9/1

 

 

仕事のあと、夜に美容院の予約を入れてあったが、LINEで道劇1回目を観おわった結城さんから「今日ラストだけでも観ておいたほうが」、と誘い水を向けられる。初日は外すかなと思っての予定でもあったのに、あっさりと意志は覆る。ある一点のトリガーというよりかは、もっと連続的・多面的に経験される「こと」の流れにおいて、自分のかたくなさが解されているような感触があったなら、もう素直にそっちに身を任せるのがいいのだろう、という判断が自ずとはたらくようになってきた。自律して在る一個の自分という、多分に社会的な規範に沿って(沿わされて)負っている、非本来的な生のあり方の虚が突き崩されためちゃくちゃのさなかに、思ってもみなかった生が展開していく。

美容院は梳いてもらって後ろ毛作り直してそれだけだったが、色々と音楽の話をしているとなんだかんだで20時を回っている。神保町から渋谷、さして遠くない。スティールパンの楽しげな旋律のなかで、なにやら匂いを嗅ぎつけてスン…と空気を吸い込んでいるマコさんのステージ中に到着。最後に玉子の脇に添えられるストール、あれはパクチーなんですよ!とポラで熱弁していて、場内感嘆と笑いに包まれる。カレー好き踊り子の多い週でもある。アゲハさんの周年作。重厚かつ多分に過剰(選曲!)でもあるのだが、結局のところ、目前に現象する身体の凄まじさにもっていかれる。M3後半、舞台中央での腰を曲げて衣装を脱ぎ、ひざの横あたりから顔を出しているという印象的な脱衣があり、感極まってしまった。

その後のポラで、ようやく周年Tシャツを手にする。重ね着の着用感を確認したくて、事前にキンスキーさんがXLを試着させてくれたがさすがにでかいね、となってLを購入。最近話すようになった先輩アゲハ客のヨシタカさんが、見始めた時期のタイミングのせいで周年Tを着るまでがえらく遠く思えた、という話をしていた。自分にとってのこの8ヶ月、長かったのだろうか。その日をすでに迎え、もはや確かめようのない感覚。

 

 

9/2

 

 

湿気が相変わらずひどい。帽子を持って家を出る。業務後、各種の支払いなどでもたつき、マコさんの『You can cry』のステージを観そびれる。今週に関しては明日以降もあるか、と謎の余裕があってしまうが。ポラ中の場内を覗くと、座って休んでいるキンスキーさんの後ろ姿、それから手すり前にこちらをすでに視認している結城さんと、ブルーノートに行く前に訪れている武藤さんがいる。自分のなかで、劇場の「いつメン」の原風景といえばこの3人、という認識がある。

金曜の夜ということもあって4回目には一見さんが何組かおり、それぞれに味わい深い印象を残していった。ああいう場面で、間を取りもつネゴシエーションのスキルを持っているわけでも、体格の上で割って入って抑止するようなことができるでもないのに、のこのこ前の方へ出ていってしまう。キンスキーさん、最後は酔っ払いに握手を求められていた。場を収める役目を心得ていて、しかも愛嬌がある。ますます好きになっちゃうが。

周年作に関してかなり感興をおぼえている体感があるが、まだ頭がまとまっていない。今のところ、平日の遅い時間に1、2回と観ているだけで、必要十分に身体が満たされて帰るような日が続いている。きのう劇場に来る前、結城さんにあなたは読む本増えるよ、と予告されていたけども、原作(群)は履修せずこのまま虚心にみてみようと思った。

 

 

9/3

 

目が覚めて二度寝、三度寝しながらぼんやりと、今週はなにか書き残しておいたほうがいいのかな、と思い立つ。7中、間近で皆勤に向かっている状態の人の日々楽しむ様子や気の浮き沈みの吐露を聞いていたということや、あと宇佐美さんが公開した制作日記のことも頭にあった。もう何も言わなくとも今週は皆勤することになると思うが、7中で知らずと自分も準備段階に入っていたのかもしれない。というわけで実際の日記の始まりはこの日で、ここまで二日間の出来事に関しては、三日目の朝夜に思い出しながら書いたものになる。

今日は周年イベントの日で、当然混雑が予測されるので少し早めに準備し、9時15分に到着。整理券配布の時間までにかなりの人数が並んでいる。1回目の最中には場内パンパンに。自分は上手のかぶり中央寄りになんとか座る。よくお見かけするアゲハ客の面々は、ロビーと行ったり来たりしながら準備に忙しい。かぶりにいるのが若干前のめりにも思われたが、今年の自分はここに座るのが正しいのだろう。

フラワーケーキに、6色に色の変わる蝋燭が灯される。歌っても良いよね、と司会の前置きがあってから、ハッピーバースデーソングが、昨今の事情を鑑みて控えめな調子で歌われる。劇場という場で、アゲハさんと個々の固有のかたちで関わる人びとが、夢の世界の入り口を開放しても収まりきらないくらいに一同に会する。共演の踊り子さんによる和やかなメッセージの時間に続いて、代表のお客さん方によるスピーチ、その内容ももちろん素敵なものだったが、むしろそれを語るその人固有の聲色にこそ打たれたように思う。それは、おそらくお二人が必ずしも準備した原稿等に沿うことなく、目の前にいるアゲハさんと、アゲハさんを祝したいという気持ちでそれを取り囲んでいる他のお客さんが作り上げている場に、身体ごと巻き込まれながらことばが話されるままに話していたように思えたからだろう。上手側だったから、お客さんが言い淀みながら話す、その表情の微細な動きを感じながら聴けたのも良かった。淀みのないクリアな発話よりも、立ち止まりながら、訥々と、あるいは迷いを隠せないままに発されることばの頼りなさのほうにこそ、共鳴できるものがある。

 

ポラ列に並びながら、お客さんと指で「18」を作っているアゲハさんをみていた。ふと、上から垂れ下がってるティシューって数字の1じゃん、とひらめきが降りてくる。8になってくれるようポーズを伝えたら、腰を入れて脚で円を型取り、真顔になるアゲハさん。まばらながら、何人かの知らない方が同じものをリクエストしていた。帰ってきたポラもすごい良い。表情が白眉で、小倉のエロポラ(概念)を超えている。結構な発明なのでは?と思い結城さんに報告すると、それは良い、名アイディア、武藤さんも好きそう、とずいぶん褒めてくれる。アホなことに付き合わせてしまって申し訳ない気もするが、自分なりに親愛の情を示しているつもりではある。

 

 

9/4

 

 

昨日、傘を入れた紙袋を座席下に忘れてしまい、キンスキーさんを通じて職員さんに預けておいてもらった。ポラ中ロビーに上がったら、入場してきたキンスキーさんがもぎりにいる森さんに、忘れものをした当人が荷物を受け取ったかどうか確認しているところに遭遇。やさしい。友達って……こういうコト?!とちぃかわの心持ちになった。

13時前に着いて、まだ座ることのできるくらいの場内。アゲハさんの出番直前、ちあき氏と一緒に現れた菅野さんが勢いよく隣に座る。今日は4人で結城グループ(ないグループ)の会合をすることになったので2回目までしか見れなかったが、色々と考えごとが浮かんだ翌日に観るマコさんの『You can cry』がまた沁みた。二日続けてそうなってしまっているが、避けようもなく落涙してしまうような泣き方を、劇場であまりしたことがない。

 

今日がアゲハさんの誕生日。前々からこれを、と思っていたものを無事渡せた。自分でもぜんぜん読了していない分厚い本だけど、通読するというよりは気になったトピックを、辞書的に引いて読むタイプの本と思う。この本の特徴のひとつとして、英語歌詞はカナ表記であったりカナルビがふられるようになっていて、日本語話者が日本語話者として聴こえたようカタカナで記述し、それを分析していく…という側面がある。これと方向性を同じくする分析として、『うたのしくみ』での細馬宏通さんのスタイルを想起するし、自分のストリップ鑑賞における基本的なあり方をも再考させられる

3回目の宇佐美さんまで観てから、神保町のサイゼで閉店まで前述した結城グループの会合。奄美大島にこの間までいっていた菅野さんから聞いた、ほとんど人間かよと思う儀式をして交尾相手のメスを呼ぶ新種のフグがいる、という話にみんな爆上がりしたり(そういや朝にはラッコの交尾は数日かけて行ってかなりしんどいらしい、対位もきつくて死ぬこともある、等々のラッコ情報を一方的に聞かされた。交尾の日?)、そういった興味深い知識を調べてなるほどなあ、なるほどねえ、面白いねえ!とかいってるうちに死ぬんだろうなあと人生を見切った人がいたり、年末に何の目的もなく、好きなもの持ち込んで4人で泊まるだけをするやつやろうとか、大学生の最初の冬休みか?みたいな予定が爆誕したりした。いまが一番楽しぃょ

 

 

9/5

 

 

初日から日記を続けてはいるが文章を推敲する暇もないので、どんどんメモに書き捨てている。稚拙な書き筋のまま、みすぼらしい文体で書いてやっていくしかないのだが、それと同時に、劇場においてすらふだん記憶に貯蔵されないままに忘れ去られていくイベントの多さに驚きもする。これは福尾匠さんが例の日記で取り上げていたトピックだが、出来事を記述して残すことありきで、つまり目的的に日々の出来事と差し向かおうとすることは、良いこととも悪いこととも判断しがたいように感じる。個々のイベントの連なりを記述していけば日記のフォームの体裁を最低限は為し、それが身体に何らかのトリガーとなる可能性を残す装置として働く余地があるにせよ、私にとって最も有意義な記録のかたちになるとは必ずしも言えない。とはいえ、こんなにイベントづくしの毎日では、ひとまずそれらのイベントを継時的に思い起こして書き連ねていく方法を取るしかなくなってくる。

今日は結城さんの知人であり数ヶ月前からマコさんを追っている、パフォーマーのチャタさんと邂逅する一幕が。今年、人生がおかしくなってしまった同志のひとりということになる。最終回の『カオスダイナー』ではかぶりに座っていて、控えめな手つきの拍手を寄せているのが横目に見えた。

イベントの週末を越えて、周年作は回ごとに、ニュアンスが模索されているような箇所がいくつか。その変化をいちいち追っているわけではもちろんなく、すべてを知覚して頭に収めておくこともできないし、感知される「こと」の手ざわりは当然、自分の体調や心持ちにも左右される。ある程度まとまったシークエンスなり特徴的な身ぶりなりポーズなりが、目にみえる身体のうえにあらわれるとき、快へと闢かれるセンサーがはたらくような引っかかりが、(理想的にではあるものの)さしあたっての、みる態度のおおまかな拠りどころになる。

 

 

9/6

 

開演前から劇場は混雑の様子。9頭渋谷カレーブームに対して逆張りしはじめた結城さんと、しょうもない話やしょうもある話を高速脳直レスしあいながら昼休みを過ごす。

今日明日と、友人をアテンドするフェーズへ。お盆ぶりに会うみいちゃんとご飯を軽く食べてから劇場へ。19時45分に着くと、奥から出てきた森さんが今ちょうどトリ前ですよと教えてくれる。アゲ目(もく)認識されていることがなんだか嬉しい。意外と場内は空いていて、中央上手寄り三列目、初見にはちょうど良い席に座る。そういや去年の自分も、この位置でさゆみさんや宇佐美さんを目にしたのだった。衒いなく発される率直な感想を聞きながら、半ば弛緩してステージを観られる。みいちゃん、今日から4番目で登場している蟹江さんから、かわいい子いる!と何回もファンサ(要するに「オープン」)を投げられていたが、全然受け取れてなくて蟹江さんも「そら困るわなあ!」と豪快に笑っていた。もちろん場が白けるとかではぜんぜんなく、踊り子さんと一見さんとの意思疎通がわかりやすくズレて和む、というよくある一幕ではあったのだが、ただ自分がパスを出す余地はあったのかもしれなかったなと少し後悔した。とはいえ、物怖じしない人なのでアゲハさんのポラには二回とも並び、見送りの時間まで残って楽しんでくれる。2ショで横に並ぶよう促すと、アゲハさんが「いい匂い〜」と言っていた。

 

 

9/7

 

 

18時15分、109前でさゆたろさんと合流。着けばおそらくトリプルポラにさしかかろうという時間で、先にご飯でもいいか…と思って訊ねると即答でお腹空いてます!が帰ってきた。道玄坂を上りきる手前の、二階に上がる餃子屋さんを教えてくれる。美味しいのに穴場で空いてて、しかも一杯飲んで三品頼んで二人で2600円とか、嘘みたいに安い。ハイボールにジョイ子のトレカを映りこませる恒例のオタク仕草をやっていた。

さゆたろさんはKPOPやK-HIPHOPだけでなく日本語ラップの現場にも相当通っていて、キンスキーさんと話が合うと思ったので引き合わせる(現在のアカウント名に沿って浅野ゆう子のジャズダンスさんです、と紹介したが取り立てて変な空気は流れなかった)。二人とも過去行ったライブが被ってたりして、現場にちゃんと足を運ぶ人間のコミュニケーションに宿る説得力のようなものを感じる。結局3回目トリのアゲハさんからラストまで観たが、さゆたろさんはアイドル現場との類似点・差異といったことよりも、ボディメイクという現前の問題意識に沿った視点から、ストリップに強く感銘を受けていたようだった。あと六花さんのポラ中から捌けるまで、ずっと「かわいい~」と言っていた。六花さんの『月』も毎日観ているわけだけど、M1で登場するとお衣装の色味が本当に似合っていて毎回はっとするのと、ポーズへ入る手前のシークエンスのニュアンスがほぼ気まぐれと言っていいほどに変わっている。別の日の話になるが4日目の初回、振りという振りを削ぎ落として扇子をゆっくり撫ぜたあとポーズに入るという回があり、ほとんど泣きそうになった。

友人をアテンドするにあたって信念があるわけではなく(スト客として継続的にみるようになってほしいからとかが別にない、また来てくれたらそれはそれでもちろん嬉しい)、個人的な関係性において信用している人を連れてきている。友人とのあいだの信頼関係は、それ自体を目的としない利他、有形無形の贈与のなされあいのうちに生じていくものだろう。ほかでもないストリップをみてほしいと思うのはなぜか、と問われたら、それは私がアゲハさんからこの8ヶ月、何をどのくらい、ということがもうわからないくらいに与えられてきたから、としか言いようがない。

 

 

9/8

 

 

アゲハさんにお薦めされた近場の「カレーショップ初恋」に行き、ようやく今週初のスト客カレー部活動を果たす。ツイートの流れで宇佐美さんと初恋の話になり、恥ずかしげもなく若き(幼き?)頃のエピソードをお互いに晒しあったりした(なにやら余波が後列にも及んでいたようだが)。マコさんの『カオスダイナー』、盆でパレオを脱ぎ去ってグレイビーに見立てて「盛り付け」ていくシークエンスがあるが、今日はそのシーンでストロボが少々フライングで焚かれたようで、その週最もギンギンなカレーになっていた。その流れ?で田川さんとエンケンの話になったのだが、聴取歴のスケールが違いすぎてびっくらこいた。

『Tempest』の3回目、今週初めて下手中央寄りで観たが、M1フロントライトの当たるスモークの中の横顔のあらわれが美しく、そのまま最後まで恍惚と観ることができた。8日目にして、ようやく緊張がとれる人。

六花さんの4回目、下手後方にヨシタカさんが座るのが見える。場内はふだんよりいくぶん空いていて、自分とヨシタカさんが二人並んで座ってたら見慣れない絵面になって面白いかな、とか考えてた。被ってるキャップも白黒で対称だし。それをポラ列でよしたかさんに話すと、オープンでわざわざ隣に移動してきてくれる。もうこれは何かやる流れだろうと思い、アゲハさんに対してダブルハートチップを発射(6頭、宇佐美さんにチップ渡そうとしたら結城さんに促されてやったやつ)。

その場の思いつきを受け取ってくれる他者との協調のノリから、何らかのいい感じの波紋が生まれる。必要以上に見知らぬ人と関わることを忌避してきた自分としては驚くべきことだが、今週はこうした経験が何度か起こっている。この夜はステージを観ることの愉しさはもちろんのこと、劇場に在ることを十全に楽しめていることの充足感と幸せがあった

 

 

9/9

 

人はその本質的な傷つきやすさゆえに、被傷可能性とケアを受ける可能性とを同時にもってもいる(長滝祥司『メディアとしての身体 世界/他者と交流するためのインタフェース』、東京大学出版会)。視線の揺れや上がる口角、手先・足の動作、運動の志向に付随してみられる筋肉の緊張、横隔膜の収縮に合わせた肋骨やそれを覆う皮膚の上下…といった、現前する身体の表面にあらわれる動き、言い換えるとアゲハさんの現象する身体を感覚することを通じて、私は間主観的にアゲハさんのステージを経験する。そのとき私の身体もまた、現前するその情況に巻き込まれながら、世界へと差し出されてある。アゲハさんのパフォーマーとしての年月をそれとして痕跡に残している歴史的身体のあらわれに、美的価値を感じ取りつつ傷つきもする。傷つきこそが、あるいはそれに対する、頭で考えるのでは了解が不可能な(エンパシーとしての意味合いの強い)ケアの志向性が、他者と自己との裂開的生成の契機となる。

 

 

9/10

 

 

朝、ロビーで隣に腰かけている人が、実はいとーさんだった(キンスキーさんが声をかけるのを見て判明)。これまでずっとさまざまな現場をすれ違っていたのだが、こんな日についに邂逅。会ったら抱き合うのだろうと思っていたが、間が抜けてしまったのでそれぞれに空気をハグする二人。下手三列目左端に座り、今日は心穏やかに10日間を噛みしめる日になるのだろうな、などと思っていたら、蟹江さんのオープンでのタゲが今日は自分に来ておっぱいを見せられる。2回目にもファンサを投げられて次チップ渡さないとかな…と思っていたら、3回目バーテンダーの演目?でその流れを回収するかのように超高額のチャージ料金表とパンツの入ったグラスを文字通り握らされ、さすがに笑ってしまった。前日4回目の新作でも一見さんの多い場内を渦に巻き込むように沸かせていた(蟹江さんのコンディションが良かっただけでなく投光も素晴らしかった)が、そうした掛け値なしに楽しいと感じる時間が思いもかけずもたらされることは、その人たちにとってどんなに幸福なことだろうか。

この日は、マコさんからもかわいいYUMAトートの皆勤賞をいただく。『You can cry』がこの香盤で演じられたことは、本当に僥倖だった。こんなに毎回揺さぶられるような演目を、正直なところ他に観たことがない。週末の3回しか観られなかったが、それはそれで限られた観賞で良かったと思える。宇佐美さんも、初日は会えなかったにもかかかわらず、皆勤を労うメッセージを添えたステージ写真を入れてくれていた(ポラは家で読むので帰宅してから気づく)。あと、階段上で下から上がってくるいとーさんを見つめていたら、そのまま手に持っているポスターを「明日誕生日なので…」と渡してくれた。蟹江さんのパンプレに始まり、意図せず、あるいは偶然の差配で、今日来たときには予想もしていなかった贈りものが積み重なっていく。

最終回はかぶりに移動し、アゲハさんの今週最後のステージを見届ける。本当にただアゲハさんをみることそれ自体、ができた気がした。虚心にみよう、とか意気込んでいるような状態では決してそうはいかないのだろう。穏やかな心持ちのまま、10日間が終幕に向かっていく。最後だし、ということでキンスキーさん、いとーさん、なゆこさんと18ポーズを4連続で撮ったら、次のお客さんたちもそれに続いていた。

帰りに、ライトの消えた道劇の前で結城さんが、十日間を共に終えたキンスキーさんと並んでの写真を撮ってくれた。肩を組むのではなしに、ほとんど韓国芸能人の「マナー手」に近いくらいのやわらかさで、キンスキーさんの肩に手を置く。結城さん、ほとんど地面に手がつかんくらいに構えて、随分下のアングルから撮るな…と思ったが、こんないい写真あるのか、というような一枚が撮れていた。

 

家に着いて放心していると、日が変わって11日、自分の誕生日。ツイートするとアゲハさんからおめでとう!!とリプライが来て、そうか、9頭が終わった幸福な気分のうちに誕生日を迎えることになったのか、と初めて理解した。今まで知らなかったが、一年のうちの一日でしかないある個人の誕生日が、その人にとってこんなにも意味あるものとして捉え直されるということが、実際に起こりうるのだ。そして、さっきまで一緒だった結城さん、キンスキーさん、ヨシタカさん、なゆこさんから続々お祝いのメッセージが来る。こちらのいいねから飛んできたと思われるせりなさんからもリプライがあり、これは予想外だった。

去年の今日、奇しくも栗橋にいた。2回目のストリップで、もう何度も書いているが外のベンチに二人で座っていたら、友坂さんとは知らなかった友坂さんが、「日焼けしちゃいませんか?」と声をかけてくれた日だ。今日も、あの日のような快晴だった。今週、劇場でたくさんの人とことばを交わしたが、そのうち1年前から顔を合わせていたのは結城さんと宇佐美さんだけである。劇場で出逢ったこれらの人々に混じって、古いフォロワーの工場さんからの通知が来る。どんどんどんどん楽しんでくださいと、どんどん二倍がけの、あまりにありがたい言葉をかけてくれる。他者との偶然性に満ちた邂逅はアンコントローラブルなものであるにせよ、それを自ら選び取っているという実感もまた確かにある。その選択による自己の変容を(大抵の場合は良きものとして)認識したとき、存在としての自分が生まれ直す。生とは、死へ向かうことも含めて、どんどんどんどん自分になっていく、をやっていくだけのことである。

 

 

9/11

 

 

昨晩の誕生日ツイ、知らないストおじがちらほらといいねしていく。誰なんだ。今日はえりかさんの主催するKぽのDJイベント、liarliarが2年半ぶりに秋葉原のmograで開催される。味坊の新店出来てたな、と思い駅から直行。会計を済ませていると、「あれ、ちひろさん?」と横から声が…なんと、さゆたろさん。腹ごしらえする場所がかぶっていた。ギャルはクラブに行く前、中華を食すと言われている。そのまま、ご一緒されていたあおぎりさん・森永さんと4人で、今はKぽと現ジャンルを違えし者たちの集団としてmograへ向かった。宇佐美さんやマコさんの演目のディテールを説明しながら、あおぎりさんに道頓堀劇場行こうよ今度!と誘っているさゆたろさん。本人にとっても、数日前までは思いもよらなかった会話だろう。

すでに待機列はmogra差し向かいの細い道から首都高沿いまで伸びていて、最後尾を目指して歩いていく。列の後端からだいぶ離れた交差点前に、見覚えのある人物が立ち尽くしている。自称ギャルなのに、ギャルの大行列に恐れをなしたいとーさんだった。思わず駆け寄ってしまう。2時間弱のあいだ爆踊りし尽くした後、黒井さんの待つ熱海の劇場へ向かっていった。化けもの?

帰り際、同郷のあおさんと邂逅。ある韓国アイドルの楽曲に関連する、面白そうな卒論を書こうとしている。その楽曲には私がある時期、韓国に飛んでまでのめり込んでいたグループも関わっている。ある日そのグループの日常生活を映した動画を観ていて、通りがかった見知らぬ人にふと思うような調子で、この人たちにもこの人たちの人生があるのだな、この人たちに悪いことが何もおこらないといいな、とただ思うようになっていることに気がついた。それを執着がなくなって良かったと思うことも、あんなに好きだった過去を想起して感傷的になることもなかった。あおさんは、どんな葛藤のラインを描くのだろうか。

 

 

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