3/4、5・8 ライブシアター栗橋

3/4

仕事で蔵前。そのまま浅草橋まで歩き、カフェで内藤正典『イスラームからヨーロッパをみる』(2020)を読み終わる。ヨーロッパ各地で、イスラモフォビア(イスラーム嫌悪)の高まりからムスリム女性の被り物を禁止する法案が成立していく流れ、シリア内戦と難民のヨーロッパへの流入とそれに伴う移民排斥の傾向、ヨーロッパとアラブ諸国とのあいだに位置するトルコの政治・地政的状況。こうした太いテーマに沿った議論のなかで、広範な地域に関してヨーロッパ世界におけるムスリム住民との「共生」の破綻、あるいはヨーロッパ旧宗主国の遺した植民地主義の残滓が内紛を呼び続けている現状などが個別に整理されている。「おわりに」では、ヨーロッパがインクルーシブからエクスクルーシブへと舵を切ったこの30年を淡々と総括する筆致に、深い絶望が読み取れた。次に読むべきトピックがいくつも考えられるが、ちあきが仏教関連書籍の感想をいくつかアップしているのを見て、引き続き中村元の本を手に取ることにする。

3/5

ボートピアのさくら亭から戻ってくると、きりんさんがベンチでご飯をとっていたので声をかける。即座に、きりんさんらしからぬ勢いで、自分が探していたロワイヤル仏和中辞典第2版がiOS版で発売されたこと、物書堂のセールがもうすぐあるからその時買うこと、紙版もそれに伴って手放す人が増えるだろうから少し待って手に入れたほうがいいこと、などを教えてくれた。やがて結城さんが送迎でやってきて、きりんさんが手を振る。中に入って談笑しているとイワイさんも現れ、道劇でよくある「みんないる」日、の僻地バージョンになる。
二中川崎で初見だった桜庭うれあさん。演目ごとにイメージを立ち上げる道具として、ウィッグをこれだけ効果的に使っている人って見たことがない。『ぽんぽこ』、『シザーハンズ』(川崎で出していた二演目のうちの一つ)、『Barbie』と見ていくと、演出の巧みさ、道具遣いの多彩さ、そして勘所を押さえたダンスが魅力的で、他の演目も見てみたい、とどんどん思わされる。三回目は初めて見るウィッグなしの演目『東方神起』。とはいえ、ハーフアップに編み込みの青〜紫系のエクステをつけていて、登場の瞬間からホリゾントライトで青白さが強調されていて目を惹く。M1サビのジャッジャッジャジャーン、というギターリフで、斜め方向に大きく上肢を開いて左右にステップする振りは、手足の長さが十二分に生かされるM1 を象徴するような爽快な振り付け。次の小節ではギターリフの最後の音がジャッジャッジャ、ンジャーン、と半拍ずれて気持ち良さが増す。継承演目だそうだけど、スタイリング・ダンス共に桜庭さんのこういう方向性のを見てみたい、という欲が満たされた。

3/8

黒井さんに、「あれ〜、今日は(結城さん抜きの)ソロ活動なの?」と訊かれる。黒井さんに会う時、確かに結城さんと一緒の日が多い。べつにだれとも、示し合わせて劇場に来ることってないですよ、と笑って返した。友人を連れてくるときを除けば、いつも劇場には一人で来ているつもりだし、また話の方向性が変わるが、客席に座っているときもひとりでいるつもりでいる。見始めのころに結城さんが、演目をどれだけ受け取れるかは客席でどれだけ「ひとり」でいられるか、という話をしていた。今の感覚でも、直観的にそれはそうだといえる一方で、ストリップが見せてくれるのは「開き」や「開かれ」を導く技法(アート)であって、「ひとり」の状態に凝り固まる必要はないのだとも感じる。その技法は、ある状態にしがみついたままでいる頑なさを解呪する、べつの方法を指し示してくれる。「べつの」と付けるのは、それが常に思いもかけずやってくるからで、筋書きに沿った、予測に違わない経験で何かが変わることはないということだ。黒井さんは言うまでもなく、そうした技法を教えてくれる達人。『名♾️器』M2、放り投げられてきた魚のぬいぐるみを黒井さんにぶん投げ返すとき、なんなんだこれは、と思考する鈍重な知性を、とうに身体が追い越している。
アゲハさんは『Turandot』を加えた四個出し。久々に乗る劇場で新作、途中からトゥーランとあげこの『たまご』も出し。で、道具遣いのシーンのある演目も多いし、場当たりとか大変だったのではないか。もっと労ったらよかったなとか最終回になって思う(3月8日だし、それこそミモザを差し入れるくらいの機転が回れば良かった)。新作、古参のお客さんにとっては「懐かしい」という感慨のあるものなのだそう。かつて長く緊縛で活動してきた人の吊りのステージをどのように見るのか、という新参なりの屈託のようなものはあった。他方で、自分が見てきた演目群の演出と何かしら落差を感じるということもなかったし、選曲構成もはまっていて雰囲気の創出に妙趣を感じた。
四回目一番まで見て、方向が一緒のひらいさんと帰路に。若いころ、同じ街で不良に絡まれたことがあるという意外な共通点があった。仙台はカスの街

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