10/22 ミカド劇場

10/22

 

前日、16時に布団を出て22時にはまた寝るというゴミみたいな一日を過ごした罪悪感からか、目覚めのいい朝。巻き髪の宇佐美さんかわいい、頭に???がついた謎グッズつけててかわいい、といううさちゃん情報を何度も聞かされながら池袋へ。8番目の入場だったが、見やすい席が4席もしくは6席、そのほかは大差ないのでしばしうろうろしてしまう。すると先に席を取り終えていたお客さんが、上手の一番前いいですよ、と教えてくれる。観る姿勢をひんぱんに変えなくてはならず筋緊張が高まってしまう席だが、これも天佑か、と思い合法的?に構われ席へ。

 

音ねさんの1回目、いちごの演目。M2で「おれだって女の子に憧れてんだ」「これは女の子に憧れてるぼくの歌」、といった歌詞が急に「入って」くる。ストリップを観ていると、このように歌詞が身体的に腑に落ちてくるような瞬間がある(そして、それらはほぼ例外なく良い経験として記憶されている)。後で調べてみたところ、思っていたのとは全く異なる趣旨の楽曲ではあったのだが、劇場での経験は差し迫った自己の問題系の不安やおそれのもとに、思いがけないかたちの打開や、慰みや、あるいは新たな洞察をもたらしたりする。楽曲の後半では3年くらい前に韓国で流行ってたタンフル(いちご飴を串にさしたやつ)を持ち出す。ファルス的な役割を果たすだろうことは想像がつくが、M3に入ってピクニックシートを敷いたかと思うと、白濁したローションをタンフルに垂らしていきそれを用いてのオナベ、という展開。続く温泉不倫の演目では、M2で登場する竿役?のぬいぐるみが上半身だけのムキムキの半身から片手だけ出ている謎形状で、手羽先にしか見えず濡れ場なのにずっこける。直截的なエロと抜けの落差、というよりかは同時にそれらが成立しているステージに感興を覚えた。あいらさんは1回目のJK演目と3回目の初見の演目が甲乙つけがたく素晴らしい。後者のM2は非常に流行った歌でKPOPアイドルも随分とカバーしていたが、これほどの動きの少なさで振り付ける人がいただろうか。同じく、ほとんど動かず場を制しているベッドも最高だった。事前に聞いてたほど髪巻いてなかった宇佐美さん(3回目で巻いてた?)、かぶりで観る『黒煙』エロかったわね…宇佐美さんは私の知らないジャンルの音楽を多分たくさん聴いてきていて、振付を通してそうしたものの楽しみ方を教えてもらっているようなところがあると感じる。3回目のポラと合ポラで???ヘアバンドつけててかわぃかった

アゲハさん、2回めに出していた『あきんこ』。昼食食べ忘れていたことに気づいてダブルのポラ中にコンビニにサラダバー買いに走ったら、思いの外混んでいて開演前に席に戻れず。立ち見スタートになってしまう。M1から、左親指(10/24訂正:小指)で結ばれ腕にかけて巻きついている赤い糸への注視が促される。紐は右腕にもぐるぐる巻きにされていて、同じ色のレッグラップも身につけているが単なる装飾ではなさそうなことが示唆されている。脱衣ののち体幹部分もまた例外ではないことがわかるが、演目を通しての束縛とひらかれの動作・イメージの往還のうちに、自分が、あるいは目の前のこの人がいまここに在ることの境遇や歴史性を思いなす契機が生じる。ティシューもまた紐と同じ赤色をしている。自らを縛るものとしても作用し、自らをひらいていくツールでもある。他方で、恩寵とはそのあいだでしか生じないようにも思う。『Tempest』にしてもそうだが、近ごろのアゲハさんを観ていると、二元的なものの見かたとは別のしかたで想像することに導かれているように感じることが多い。あと、今週は爪に唯一の友達がいるらしい。別れ際に見せられたが機転が利かず適当に流してしまった。死ぬしかない

 

首が限界でブルブルだったので3回目で帰ることにしたが、こんな充実した気分になることがあるのか、という一日だった。明日死んでもなんの悔いもないな、という日がこの一年で何度も訪れているが、毎回バカみたいにそれに驚き、嬉しくなっている。

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