11/13-15 DX東寺(金銀銅杯)

差し入れにもっていった本能寺近くのリンデンバウムのお菓子が好評だったので、自分でも買って帰ろうかな、と思って立ち寄ってみたら、定休日の貼紙が出ていた。劇場に行く予定のない消化日程の4日め、今週行ったり来たりして歩き慣れてきた…と思っている市役所前で、カフェに入って書き始めている。半日歩きまわって身体を休ませていないせいか、六頭小倉、門司で泣きながらご飯食べてたときほどの淋しさはない。

 

13日は新幹線から直行して入場時間には間に合い下手花道へ。14日は3回目から上手大盆前、きのうは正面で観た。

2番めは10頭栗橋以来のささきさん。『シュガークラフト』、中盤からパンツ劇場仕様に。M3で使用されていた常識的なサイズのスプーンに代わって、M1で活躍していた常識はずれなサイズの大スプーンがベッドと立ち上がりの主役になる。花道の途中で大事そうに抱えなおされ、ゆっくりと盆に運ばれるスプーン。徐々に恍惚とした表情に移り変わっていくささきさんがその表面を覗き込み、一度二度とへりを舐め上げる。栗橋の日記で書いたように、M1での大スプーンはささきさん側から見ると鏡面としてセルフカメラ的な役割を果たしていた。この東寺仕様のバージョンでは、盆でささきさんが覗き込んでいるのは自分自身の顔で、ギリシャ神話のナルキッソスがモチーフのように喚起される。要するにスプーンに映る自己に恍惚とすることで、異物挿入によるオナベができないなりの、もうひとつの形のオナベが展開されている…さしあたって外からはそのようにも見える。他方でスプーンの表面を覗くと、凹面鏡によって像は上下反転して映っているはずで、端的に自己陶酔という線に引きつけて観るというのも安易なのかもしれない。『紫陽花』の立ち上がりも感嘆するしかなく、毎回新鮮に凄みを見せつけられている。

3番めはきららさん、東寺では狂乱の『教習所』が始まった4中ぶり、すべて初見の演目。相変わらず、BPM遅いR&Bの選曲に信頼を感じる。全く「泣ける」演目ではないと思うのだが、14日の『kawaii UFO』、ベッドで不明に涙が止まらなくなった。こうなってしまうと、文脈関係なしに目線のかすかなうつろいだけでもうだめになってしまう。基本、きららさんの孤独が所作に滲み出てしまっているようなとき、この人に愛おしさを感じるのだろうと思う。立ち上がりが、黒井さんの『カルメン』M1と同様にきららさんの(名前の)自己言及曲というのもすごく良い。ちなみに13日には、『kawaii UFO』で衣装を天井にひっかけてしまったきららさんが、同じくサイバー衣装のせりなさんに脚立で取ってもらう、というほのぼの回があった。演目の流れといい、この日のベストモーメントではなかったか。

トリはせりなさん。1回目のポラタイムのBGM、思わずいとーと顔を見合わせた。そんなことある?

浅草のリメイクは東寺限定?まだタイトルは決まっていないそうで、前情報なしに観たらもともとが源氏だとは推測不可能な演目に。それにしても、しょっちゅうなにかに取り憑かれたり取り憑いたりしている。『ポリゴンウェイブ』はこれだけ広い空間で観るのは初めてになるが、M3で明滅するキューブに座って現われた際の寂寞とした趣も、いっそう強まる。機械的で無感情な非人間性と人間らしさのせめぎあいは、サイバースペース的な世界観ではわかりきった条理だろうけど、劇場では息づく裸体があることで、後者のあらわれには事実、骨太な説得力が宿る。『龍と牡丹』のベッドで汗にまみれた背中もそうだが、カラーキューブの上の、せりなさんの非常に個別性のある背中の貌(おもかげ)の雄弁さに、背中に顔が、と思わずにはいられない。あと『ゴルフ』と同様、この演目もM2のような、完成度を高める合目的的な動きから必然とはみ出していくであろう振付を、やっぱりはみ出しながら踊ってるのを見るのがだい好きだなと思った。

 

アゲハさん。トップで観るの初めてでは?(誰に聞いてるんだ)

2結以来の『あげゲーム』。デスゲーム参加の準備はしてきた…が、初日からとは思っておらず、あげジャージのチャックを探し出せずに席でわちゃわちゃ。「これできなかったら死にますんで」、といつもの如く非情なアナウンスに促され、ゲームを終わらすことに専念。時間ギリギリで、伊達巻みたいにでこぼこしたDXT♡の「D」が完成?した。

『Tempest』も東寺仕様に。観るたびに進化していく演目。M3はM2終わりの流れのまま、ティシューのシークエンスが大幅に延長。脱ぎのタイミングも全く異なっているが、脱ぎのあとの上体起こしに歌詞との振り当てが組み合わせられたりしていて良い。その直前のティシューのシークエンス終わりでは徐々に下降してくるが、最後は自転車を漕ぐように両脚をゆっくりと回旋し、舞台に着陸してくる。そして、二つに分かたれたティシューのあいだから生まれなおす/現れなおす。大盆から始まる演目だが、この生まれなおし/現れなおしである意味リセットがかかる。M4での飛び込んでくるような大盆入りがより劇的になり、それは花道よりも前方から観た際によりぐっとくるものがあった。4中の東寺では、観たことのない高さで演じられるエアリアルの垂直方向の運動のうちに、カタストロフィを見出すような感覚が先行していた。他方で、投げ出されたり、抱きしめられたり、あるいは同じ系統の色や類似した触感・質感をもつなにかとともに目に入ってきたり、さまざまにティシューが扱われるさまから多面的な表現が立ち上がってくる。『あきんこ』を経て、今さらながらそうしたことを実感するようになってきたかもしれない(蛇足で垂直方向の視覚走査でいえば、『shiro』の立ち上がり冒頭のあぐらうつ伏せへの脱力は『Tempest』M1始まりと相似をなしていて、『shiro』がその後エアリアルのシークエンスに向かっていくのと『Tempest』M1で錫杖が幾度も高く突き上げられることとも共鳴しているなと)。

14日最終回、今年最良(さいよ)の『Tempest』に。この日はきららさんの回も含めて泣いてばかりいたので、東京にいる人から号泣秋旅満喫OLなどと呼ばれるはめに。しかし、自分が観ていたのはパンツ興行だったんだよな、とも。考え込み…

 

初日、煙を避けていとーとへらへら外で話してたらお花を渡した直後のアゲハさんのオープンに出そびれるというクソ客ムーブをやらかしてしまったり、2日めと4日めは京都の居心地良(いごこちよ)の場所を探しにいったり色々なことがあったが、時系列がごちゃごちゃするのでとりあえず演目の話だけ更新。

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