1/22 新宿ニューアート

ニューアートで2日前から整理券箱の設置が始まったらしい。前日夜にはもうぶら下げているそうなので、週末はいい場所で観られるかあやしいと思い8時半に着いたらひと桁台の番号。他の劇場でもこの時間ならこんなもんだろうという順番で、杞憂だった。ただ開場も他所より遅いので、最近面白いと評判の『不穏な熱帯』を読んだり(めちゃおもしろぃ)コームがすぐどっか行くので、ルミネエストのPLAZAで買い足したりそのまま服を見たりして時間を潰す。
実は2回目のニューアートで分からないことだらけだったが、意に介さずかぶりに座る。

せりなさんは『コミー・アントワネット』の空中なしverから。『ポリゴンウェーブ』、『ゴルフ』を経て、ああここは自分で振り付けているんだな、という部分が腑に落ちるようになってきている。それらの振付に沿って踊る身体を観ることの経験において、爽快さや痛快さを感じることに伴って得られた快楽を、再帰的に味わっているようでうれしくなった。そういえば、道劇のかぶりに初めて座って観た演目は『コミトワ』だったな、と思い出した。盆から落っこちたマラボーを、触れるのも悪いと思いそのままにしていたらすごい困った顔で拾ってー、と言われたのだった。隔世の感。

そして、なんだかんだでお会いするのが半年ぶりになってしまった友坂さん。1回目『バーシア』で登場した瞬間からその不明を恥じることに。ベッドではほとんど明示的な動勢を示さず、盆が幾度か巡るうちにいつのまにか衣装から剥げた羽を唇にくわえていて、謎の感動が起こる。2回目のお正月新作『純』はさらに凄まじい。M1、しばらく聞くことはないだろうと思っていたあの曲と思しきイントロで、はっとする(けんちゃんは見に行ったらいいと思う)。異常な格好良さ。M2は着物のまま2枚扇での立ち踊りが続く。日舞のことを何ひとつ知らないが、あらゆる所作が格好良くて、格好良すぎて、ここから涙が止まらなくなった。M3からM4にかけてのベッド、それぞれ日本の代表的な歌手の、歌謡曲バラードとR&Bバラード。常識的に考えると、これらを繋ぐ発想に至るのは奇特に思えるし、『バーシア』以上に手数としての動きも抑制されている。にも関わらず、こんな濃密なベッドの時間があるのだろうか、という充実感。最後にエルから入って一度半(というのもおかしいが、そう表現するのが適切に思える)切られるポーズの最中、緩徐に下ろされる脚とともに、その横にあって微かな動きを見せていた左手が、他者を軽くなだめすかすときのようなふわっとした調子で、脚と同じ方向にそっと振られる。ここでまた説明不可能の涙が湧き出す。それを見た瞬間には、自分の何もかもうまくいかないことにたいして、べつにいいのだ、と思うことの赦しが与えられたような心地がしていた。当然、こうした場面で友坂さんはある特定の感興を与えることを意図して振りを踊っているのではないのだが、その日その時の私においては、友坂さんの踊りをみることが、そのような意味を(ひとまず言語として理解可能なものとして)結んだ。ストリップに限らない作品形態に関して、ある特定の文脈なり、あるいは共有可能なクリシェのイメージなり、演目の元となっているモチーフに沿うなり、何にせよなにもかも最初から型にはめて観ることは、観ることの経験をことばにしやすく、あるいは諒解可能なものとしやすくするのかもしれない。視線を固定し、境界を設定することは、ものごとの不可解さやわけのわからなさから自分を守ることにもなる。しかし、他者と同期しつつもその差異のあることを気づき、何かしらの感興を覚えたり、心動かされたりするような契機とは、今日私が友坂さんの微かな手の動きを見たときのように、その場で思いがけず、偶発的に降ってくるものではないか。

 

2回で帰ろうと思っていたが、そんなわけで今日は最終回まで見なければ…と方針転換。ポラのシステムが独特と聞いていたけど(9中に来た時は撮らなかった)、受付で受け取るとき自分で受領確認のサインをする、というのは前情報になかった。フルポラネームではなく、自己流のサインをしている人もいるようだった。どういうのがいいかな、などと考える暇もなく、スタッフさんがてきぱきと4枚のポラを返却してくれた。プロテインバーを急いで頬張って備えていたら、グレート麗先生とグレートせりな先生の連続登場にア然。せりな先生の粋?なスタッフさんいじりと相変わらずの下ネタお習字に笑い、心から楽しんだ一日が終わった。

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