3回目の小倉。毎回行く馴染みのお店もできてきた。となると、もう少し足を伸ばしてみてもいいような気もしてきて、ひとまず今回は太宰府へ。駅舎を出ると想像以上の人出で、広場のほうぼうから韓国語が聞こえてくる。セメントさんの過去ツイートを吟味して訪ねた「MIDLE.」でミールスランチを食べた後、九州国立博物館で開催している、古代朝鮮の国家群「加那」の特別展、楽前に滑り込み。太宰府天満宮の参道を通っていくうちにたどり着けるというのが面白いが、持ち前の迷子癖を発揮してなんの味気もない裏口から到着してしまう。エスカレーターも壊れたまま放置されている、人っ子ひとり通らない門。これはこれでいい方選んだのかもしれない、と逆に得した気分に。展示は倭と加那諸国家の各地域から出土した物品のみを中心としていて、より広い「海の道」を題材としている常設展も含めて観ることで興味が深まるつくりで面白かった。面白いことは死ぬほどあるので、なんでも面白い面白い、とWikipediaとかなんか見てるうちに人生って終わる、と結城さんが以前話していた。
桜や梅を撮りつつ参道を戻っていると、せりなさんの新しいツイートが。はちまきと紅白帽が家にある人は今日もってきてください、とのこと。学問の神さまが祀られている社の参拝路だから、当然というか、はちまきがどの土産店にも置いてある、ということに思い至った。既に劇場にいるキンスキーさんに連絡して「いりますか?」と聞くと即答でYESだったので、2本手に取る。レジ前で韓国の観光アジュンマたちがどれ買ったの、これもなんとかさんにどうかしら、もうちょっと買っていってもいいかもね、これディスカウントできる?など延々しゃべり続けていて、なかなか会計が進まない。挙げ句の果てに、明らかに他の店のものも混じっていると思われるくしゃくしゃの複数枚のレシートを、どさくさに紛れてレジの上に落とす。ちょっと、これ何ですか?とお店の人に聞かれると、日本語で、私わかりません、と何事もないかのように出ていく。他者への構わなさ、見習いたい…と、かえって感心。
AQKに入るとちょうど19時。乗り換えで通った西鉄天神と博多もやたらと混んでて疲れていたから、空いてるあんまり視界の良くない席にとりあえず着く。宇野さんが出てくると思っていたらひみちゃんが現れたので一瞬おや、となるが、本舞台の陰影の強い照明がはまっていてM1ですぐに引き込まれる。4回目の『ヘアスプレー』もいい表情が見れて嬉しい気分に。最終回はお待ちかね、旅のメインイベントのひとつ?すおーさんとせりなさんの「gogo大運動会」。珍しく朝から観ていたヨシタカさんに席を譲ってもらい、キンスキーさんと「根性」だの「必勝」だの書かれたはちまきを巻き、すおーさん側の白組で参加。玉扱いの上手な人(なんかの運動の競技です)、ピストン運動の早い人(なんかの運動の競技です)、首の太い人(なんか、運動の競技です)、靴下の臭い人(借り物競走です…)……多士済々、個性的なおじ達の活躍により、白組はなんと、パンツ食い競争への参加権を獲得。景品を吊るしたミニ物干し竿が頭上に回ってきたので、配布された道具で食らいつきせりなさんからもぎ取ると、なんとそれは……行ったことのない方は来年ぜひ、参加してみてください。「教訓」が得られます。
終演後にキンスキーさんがご飯に誘ってくれて、真面目な話やらアゲハさんの話やら、歓談しながらなんだかんだ2時過ぎまで過ごした。
翌日は遅めの10時前に到着するも並び順は10番ちょっと。かぶりで終日観覧。小宮山客で唯一面識のある山田さんが来る。『ab-』にも興味を持ってくれて、通販とかあるんですか?と聞いてくれたのが嬉しかった。『ab-』入稿の段階まで来てます。みんな読んでね!
この日の3回目から、2つ隣の席に異常に手拍子の上手い人が座った。自分自身は首とか足とかでリズムを取ることはあっても、意識が持っていかれるので手拍子は極力しないのだが(手拍子と比べて、リズムを取ることは中動態的な参与といえるのかもしれない)、耳のいい人の手拍子の演奏があると本当に気分良く観られる。同じ週の道劇でも、もう曲名出してしまうが千本桜を異常な手慣れ感で音を取っていく応援さんがいて笑ってしまった。その一方で、多分こういうのって基本的にはタンバリンを叩くときのオカズの拾い方で、他のお客さんがついていける拍子ではなくなるのかな、とも思った。多少関連する話になると思うが、すおーさんのこの日『アップルチョイス』で、自分にとって思い出深い、最も好きなKPOP楽曲のうちの一つが流れた。一見ゆったりしたトロピカルハウスながらBPMが三段階あり、それが楽曲中でも目まぐるしく変わるというトンチキ曲でもある。すおーさんはこれを大きな緩急をつけない振付で踊っていた。で、BPMがしょっちゅう変わるとはいえ、ためしに楽曲始まりのゆっくりしたBPMに合わせて手拍子を打っても、実際そこまで違和感のないリズム感のうちに踊りを見ることができる(観客みんながBPMや曲調の変化に合わせて手拍子のパターンを変えられるわけではない)。すおーさんの振付が一貫してゆったりとしたものになっているのは、見る側にとって無理なくノれるというか、結構理にかなった振付なのでは、と思った。1結SNA、3中小倉とまとまった回数見ることが増えているけど、みられることに対して、身体が提示しうる大文字のエロとでもいうべき質感にここまでオーセンティックに賭けて提示している人って、他にみないような。そうしたある種のベタさを、どんどん好ましく思えるようになっている。
自分でも意外ながら、プンラスするのは今年はこの日が初めて。アゲハさんは3個出し+あげこちゃんだったのが有り難かった。『LOVE』でハート風船を貰ったのを良い機会とばかりに、前々から撮りたいと思っていたチュー顔などリクエストしてみた。チュー顔撮るまでに1年かかる人。
3回目の『himico』、かぶりで観るのは初めてではないか。M2は現状、アゲハさんの演目の中で最も好きなセクションと思う。三色の直垂の上衣とオレンジ色のジレ、ターコイズ色のワンピースと金・赤の下衣(構成があいまいだが)のうち、このセクションでは上衣とジレを、本舞台で嵐のように回旋するうちに脱いでいく。これらの衣装が脱衣のシークエンスでは、照明によって色味を微妙に変えながら、レインボーフラッグのように立ち現れてくる。むろん、(さしあたってこの演目においては)アゲハさんは意図をもって衣装の色合いを選択しているわけではないし、そもそもフラッグに含まれない白や金だって衣装に多分に含まれている。しかし、オレンジ色のジレとターコイズ色の衣装のあいだに、どこから見てもこの人のものでしかない上肢と肩とが見え隠れするとき、ジェンダー様相やセクシュアリティにおいて明らかにマジョリティのそれを生きていない私に対して、そのあり方を尊重しながら関わりを持ってくれているアゲハさんその人の身体が、プライドカラーに限りなく近い配色の布の合間に現れることが、自分にとっては計り知れない意味を持つ。そして、当初はレインボーフラッグの1色に含まれていたがのちに排されたターコイズ色、つまり浅葱色を身に纏い、なおかつその色名を芸名に持つ人であるということ…こうした意味的な連関が、明らかに個別的な文脈において立ち上がってくる。要するに、個人のインタレストに多分に基づく具体的でパーソナルな受け止めという、自分以外の誰にとっても意味を成さないことを長々と書き続けている。あと(M1、頭上で)榊を振ってもらったら肩こりが治った、ということを書いていた人がいたが、そういうことって機序はともかく本当に素朴に起こるよねと思う。
3日目。初日からなんとなく歓談していた小倉のアゲ客のAさんと、素性?を明かしあう。名前を言うとお互い、ああ、(Twitterで)見る見る!などと。楽日なのにうっかりアゲハさんとのじゃんけんに買ってしまって招待券を手に途方に暮れていたが、翌朝しかるべきお譲り先が見つかった。
1回目せりなさんの『フォーリンラブ』。タイヤ整備士みたいな赤い制服で前後のツーステップで踊り始めてかわいいM1。そこで引っ張り出されてくる男性マネキンと衣装スタンドのドレスという道具立て、そしてM2以降はそのドレスを纏ってのステージに。本人がわかりやすく作ったというように、シンプルなドールの異性愛的ストーリーが明快に展開する。が、M1のヒップホップダンスに始まって楽曲が変わるごとに性格の異なるパフォーマンスを魅せていくせりなさんの運動の覆いようもない活力が、平凡な物語をどんどん追い越していく。『かいわい』でインタビューした工場さんが(KPOPの楽曲において)べつに歌詞はしょうもなくてもいい、しょうもないラブソング大事、と言っていたことを思い起こす。『himico』のM2にしたって、前段であれこれと書いたような個人的な、意味的な受け止め以上に、あの特異な振付を地面を踏み鳴らして踊るアゲハさんに共振していることの喜びこそが、忘れがたさの根源にあるように思う。完璧を期して練られた上演に、見る側まで変質させてしまうような危機を含んだ様相が感じられない、ということもままあるだろう。立ち上がりでの羽扇二枚使い、ポーズの一つ目は片手二枚持ちで腕を高く掲げ、二つ目は広島の写真集で見たものと似たように、両手を大きく開いて切る。エリザベス・グロスは『カオス・領土・芸術』で、音楽に根源的に備わった誘惑的な力について、ダーウィンの性淘汰に関する議論を引く。雄の孔雀はひときわ目をひく羽飾りで雌に対して性的なアピールを持つが、そのこと自体に敵に狙われるリスクはありこそすれ、有用な価値はないのだ、と。音を奏でることや目をひく美貌をさらすことにおけるエロティックで振動的な力は、(生殖などの)合目的的なものではなく、快感に関わる、無媒介な身体的満足を生み出す何かに寄与するだろう、と。開かれていく羽扇を見ながらほとんど説明不可能な涙が溢れ、あとは長大なポラ列に並んでせりなさんと話すまで止まらないままだった。
この日の4回目、シンガーソングライターのお客さんが作ったというピヨスケ(せりなさんが連れて歩いているひよこ)のテーマ曲が流れていた。ウォーキングベースラインの入ったカントリーロックで、歌詞を聞いているとちゃんとピヨスケのパーソナリティが浮かんでくる。ポラが長くて10数回もリピートされていたので、後ろに座っていた一見さんのカップルが「中毒性すごくない?」「どうしよう、なんか歌詞覚えてきちゃった」などと話していた。
翌朝、朝食にソフトクリーム、昼食にアゲ春巻きを食べて帰途に着いた。異常者。